そよ風でありたい
ゼファー(Zephyr)という言葉があります。そよ風のこと。やわらかく吹く、心地よい風を指す言葉です。
もとをたどると、ギリシャ神話にたどり着きます。ゼフュロス。西風の神です。風の神々の中で、最も温和とされ、春の訪れを告げる、豊穣の風だと言われています。
いい言葉だな、と思います。そよ風。春を運ぶ風。
私は、そんなふうでありたいと思っています。
たとえば、人の上に立つとき。厳しく引っ張っていくやり方も、たしかにあります。でも、私が憧れるのは、そちらではありません。「あの人は、いつも柔らかいね」「そばにいると、なんだか気持ちが軽くなる」。そう言われる人でありたい。びゅうびゅうと吹きつけて人を動かすのではなく、そよ風のように、いつのまにか、周りの空気を変えているような。そういう存在に、なれたらいい。
――ところが、です。
このゼフュロスという神について、少し調べてみて、驚きました。
温和な春風の神。それは、間違いではありません。でも、同じ神が、まったく別の顔を持っていたのです。
愛した少年をめぐって、嫉妬に狂い、投げられた円盤の軌道を風で曲げて、その少年を死なせてしまう。ある女神をめぐっては、北風の神と争い、力ずくで奪い去る。――穏やかな春風どころか、荒々しく、激しい。
最も温和な風の神が、そんな一面を持っている。
正直に言うと、最初は、少し戸惑いました。そよ風のような言葉だと思っていたのに、そんなに激しい神のものだったのか、と。
でも、しばらく考えて、思ったのです。
これは、二つの神ではない。一柱の神が、対象によって、風の強さを変えていただけなのではないか。
春を運ぶときは、そよ風でいい。やわらかく、心地よく、草花を揺らすように。でも、自分がどうしても譲れないものに向かうときには、円盤の軌道さえ変えるほどの、激しい風になる。
――だとすれば、それは、私が目指したいものと、まったく同じでした。
人に対しては、そよ風でありたい。後輩にも、お客様にも、家族にも。柔らかく、あたたかく、その人の背中を、そっと押すような風で。
でも、自分自身に対しては、西風でありたい。
自分に吹かせる風は、そよ風でなくていい。むしろ、荒くていい。しんどいことから逃げそうになる自分に、容赦なく吹きつける。もっとやれる、まだ足りない、と。人には決して向けないその強さを、自分にだけは、向ける。
一見すると、正反対のようです。優しいのか、厳しいのか、どっちなんだと(ちなみに自分はAB型です)。
でも、たぶん、これは、同じ一つの風なのだと思います。向ける相手が、違うだけで。
人に厳しく、自分に甘い人がいます。逆に、人にも自分にも、ただ優しい人もいます。どちらも、悪いとは言いません。でも、私が「この人はすごいな」と思う人は、決まって、その逆でした。人には、驚くほど優しい。それでいて、自分のことは、まったく甘やかさない。
その二つは、矛盾しているようで、たぶん、同じ根から出ています。自分に厳しくいられる人だけが、人に対して、本当に柔らかくなれるのではないか。自分を甘やかしている人の優しさは、どこか、こちらに何かを求めてくる。でも、自分を律している人の優しさには、見返りの気配がない。だから、心地よい。
そよ風は、たぶん、簡単には吹けません。
やわらかく吹くために、どれだけ自分に厳しくいられるか。――そういうことなのだろうと、思っています。
人には、そよ風を。自分には、西風を。

