前へ、進むしかないんよ
最初に、お断りしておきます。
この記事は、たぶん、何の役にも立ちません。誰かのためになる教訓も、気の利いた結論も、ありません。ただ、私が、いま感じていることを、正直に書くだけの記事です。それでもよければ、少し、お付き合いください。
私は、意思決定が、早いほうだと思っていました。
こうだから、こうする。ああだから、こうする。人生の岐路で、そのときの自分にできる、最善の判断を、なるべく素早く下してきたつもりです。迷って立ち止まるより、決めて動く。それが、自分の性分だと思っていました。
でも、最近、気づいたことがあります。
その決断を、誰かに「それは、違うと思う」と言われることが、たまにあります。人生の、大きな岐路であればあるほど。――そして、不思議なことに、どうでもいい人に反対されても、何ともないのです。「そういう考えもありますね」で、終わる。心は、まったく、揺れません。
ところが。
心から尊敬している人。大好きな人。その人から反対されると、こたえるのです。驚くほど、こたえる。
一つ、忘れられないことがあります。
私が、長年勤めたサラリーマンを辞めて、独立しようとしたとき。実家の家族には、反対されました。それは、まあ、分かる。心配してくれているんだ、と。
ただ、一人だけ、この人はきっと分かってくれる、と思っていた人がいました。義理の父です。自分で事業をやってきた人で、私は、心から尊敬していました。だから、この人だけは、「いいじゃないか、やってみろ」と言ってくれる。そう、信じていました。
大反対でした。
――ショックでした。まさか、あなただけは、と思っていた人に、真正面から、止められた。あのときの、足元が崩れるような感覚を、今でも覚えています。
そして、いま、まさに、同じことが、起きています。
独立して、自分ひとりで仕事を続けるうちに、私は、もう一度、組織というものに、身を置きたいと思うようになりました。一人では、どうしても届かない大きなことが、組織でなら、できるかもしれない。――これは、遠い昔の話ではありません。いま、私が、まさに向き合っている、現在進行形の問いです。
そのことを、ある人に話しました。私が、独立してから、一番最初に出会った、そして、心から尊敬している、お客様です。
反対されました。
「なぜ、一人でやらないの」「あなたなら、自分の名前で、大きなことができるのに」。――その言葉は、優しさでできていました。私を、本気で思って、言ってくれている。それが、伝わるから、なおさら、こたえました。私は、ほとんど、何も言い返せませんでした。
――なぜなんだろう、と思うのです。
なぜ、私が、心から大切に思う人ほど、私の、一番大きな決断に、反対するのだろう。どうでもいい人は、賛成も反対も、適当です。でも、私を、深く見てくれている人ほど、私の決断の、一番危ういところを、正確に、突いてくる。
たぶん――その人たちは、私自身が、心の奥で、うっすらと感じている不安を、見抜いているのだと思います。私が、目を逸らしていたものを。「本当に、この道で、いいのか」という、私自身の、小さな揺れを。
だから、こたえるのです。図星だから。
そして、たぶん、その反対は、あの人たちなりの、精一杯の気持ちなのだと思います。どうでもいい相手のことなど、人は、わざわざ止めません。嫌われるかもしれないのに、それでも「やめておけ」と言うのは、私のことを、本気で、思ってくれているからです。
そこまで、分かっています。分かっているのに――それでも、私は、こう思ってしまうのです。
それでも、進むしかないんよ、と。
尊敬する人に、止められた。その言葉が、正しいのかもしれない、とも思う。答えは、今も、出ていません。自分の決断が、正解なのかどうか、正直、分かりません。
でも、分からないからといって、立ち止まることは、できない。
私たちは、どんなに辛いことがあっても、どんなに迷っても、結局、一歩を、踏み出すしかないのです。答えが出るのを待っていたら、一生、動けない。だったら、分からないまま、決めて、進む。反対してくれた人の言葉を、胸に抱えたまま。
その言葉を、忘れるのではなく、握りしめて、進む。
いつか、進んだ先で、あの人たちに、「あのとき止めてくれたけど、私は、こうなりました」と、笑って言える日が来るように。――それが、反対してくれた人への、たった一つの、返し方だと思うから。
意思決定は、難しい。
本当に、難しい。何年経っても、大切な人に反対されるたびに、心は揺れるし、こたえるし、眠れない夜もあります。
でも。
前へ、進むしかないんよ。――そう言いながら、私は今日も、不甲斐ない一歩を、踏み出します。

